サテュロス(Σάτυροι - Satyri) はギリシア神話に登場する半人半獣の自然の精霊である。ローマ神話にも現れ、ローマの森の精霊ファウヌスやギリシアの牧羊神パンとしばしば同一視された。
森や山に出没し、パンやディオニュソスが仲間である。ホメロスによる言及はないものの、ヘシオドスの断片では、山のニンフやクレス(en:Kuretes、レアを崇拝する9人の男性の踊り手)の兄と呼ばれており、怠惰で無用の種族とされている。彼等はディオニュソス信仰と強く結びついている。男性のディオニュソス信者がサテュロスで、女性信者がマイナス、マイナデスである。
サテュロスの性格
彼等は悪戯好きだったが、同時に小心者でもあった。破壊的で危険であり、また恥ずかしがりやで臆病だった。ディオニュソス的な生き物として、彼等はワインと女性と男性を愛した。アウロスという笛、シンバル、カスタネット、バグパイプといった楽器の音楽に乗って、ニンフと踊ったり口説いたりした。人間にとっては激しい恐怖だった。彼等はディオニュソスのドンチャン騒ぎに絡めて語られる事が多く、神話や伝説の中ではマイナーな存在である。スキニス(en:Sikinnis)という特徴ある踊りを踊った。本能的にあらゆる肉体的快楽をむさぼろうとした。葡萄と蔦で作った花輪を頭に載せ、ディオニュソスに倣って豹柄の皮や山羊の皮、子鹿の皮をまとっていたが、それ以外は裸で、ファルスを聳え立たせていた。
彼等はワイングラスを手にもって描かれる事がしばしばであって、ワイングラスの装飾としても用いられる事がある。彼等はしばしばツバキ(fircone)を先に付けたディオニュソスの棒であるテュルソスen:thyrsusを運んでいる。
サテュロスの死
サテュロスは不死の神ではなく、歳をとれば死んだ。彩色花器等ギリシアの工芸品に、人間の人生の三段階に合わせたサテュロスの絵がある。成人したサテュロスは顎ヒゲがあり、禿げている。禿げていることはギリシア文化においては屈辱的で体裁の悪いことだった。高齢のサテュロスは通常シレノス (Silenos) と呼ばれた。半人半馬の飲んだくれイポタネスである(固有名詞としての)シレノスは、シレノスたちの特徴を一人の上に集約したものだろう。彼はパンの息子といわれ、ディオニュソスの養父、先生にして酒のみ仲間である。
サテュロスは暴力によっても死んだ。彼等は神話上のディオニュソスのインド行軍で戦死している。ノンノスによるとサテュロスのひとり マルシュアスは、アポロンと音楽の腕を競って敗れ、罰として生きながら全身の皮を剥がれて死んだ。
サテュロスの姿
前頭部の、山羊では角になっているところが、サテュロスでは小さな骨の突起である。アッティカの彩色花器に描かれたサテュロスは平らな鼻、尖った大きな耳、長く巻いた髪、立派な顎ヒゲ、馬か山羊の尾部を持っている。乳首のような突起(pherea)を頚部に持つこともある。
彼等は様々なスタイルで描かれる。上半身が人間で下半身が山羊というのが最も多い。時には角を生やしている。それほど多くはないが、下半身が馬であることもある。いずれにせよ、長くて太い尾と、常時勃起しっぱなしの陰茎を持っている。時代が下るにつれ、人間風に描かれるようになり、獣としての性格を失っていく。最後は尻尾だけがサテュロスであることを伺わせるところまで至った。
馴染みのあるギリシアのサテュロスの描写法は「眠ったサテュロス」(en:Barberini Faun)である([1]参照)。これはヘレニズム時代のギリシア彫刻をローマ人が複製したものである。ワインと快楽に溺れる筋肉質のサテュロスである。頭部をだらりと下げ、極端でない程度にセクシーなポーズをとっている。1998年にシチリアとテュニスの間の深海に沈んだ難破船から紀元前4世紀の青銅のトルソーが引き揚げられた(シチリアのen:Mazara del Valloで公開。→ [2])。これも類似のポーズをとっている。なお、これは2005年9月25日まで愛知県で開催されていた愛知万博(愛・地球博)のイタリア館で展示されていて、レプリカに触れることができた。
初期のギリシアではサテュロスは年老いた怪物的な姿で描かれた。しかし、後年の作品では、特にアッティカにおいて、獰猛な性格は和らげられ、もっと若く優美な特徴を示すようになった。プラクシテレス(en:Praxiteles)の複製と言われている有名な像がある。そこではサテュロスは笛を手にし、優美に木にもたれている。アッティカではサテュロス劇と呼ばれる劇があった。神々と英雄達の伝説のパロディーで、サテュロスが合唱を務めた。エウリピデスの『キュクロプス』の劇はその種のものの現存する唯一の例である(#サテュロス劇)。
サテュロス類縁のものども
年寄りのサテュロスはシレノスと、若いサテュロスはサテュリスキen:Satyrisciと呼ばれた。後述のように彼等はローマ詩人によってしばしばファウヌスと混同された。サテュロスの恥ずかしがり屋で臆病な面を象徴したのは野兎である。近代ギリシアの一部地域では、カリカンツァロスという妖怪がいにしえのサテュロスに似ている。彼等は山羊の耳と、驢馬または山羊の脚をもち、毛で覆われ、女好きで踊りを好む。パルナッソス山の牧夫らは野兎と山羊の王である山の魔を信じている。
聖書との関連
欽定訳聖書(イザヤ書 Xiii. 25, xxxiv. 14) の中で、"satyr"はヘブライ語のセイリム(se'irim)(「毛のあるもの」)を指す言葉として用いられており、ユダヤの民間伝承における荒野に住む魔物ないしは超自然的な存在を意味している。セイリムへ生贄を捧げる儀式があったことを、レビ記. xvii. 〜 hii はE. V. が「悪魔(devils)」を持つとして仄めかしている。それらはアラブの古い伝説にあるazabb al-akaba(山道にいる毛むくじゃらの魔物)と関連がある。
サテュロス劇
アテナイでのサテュロス劇(→紀元前5世紀)では、サテュロスとシレノスによる合唱(コロス)が舞台の所作に対する注釈役をになっていた。このサテュロス劇では神話におけるシリアスな出来事を戯画化して猥雑な無言劇として演じ、ぼろくそに嘲笑した。紀元前5世紀から完全な形で残っているサテュロス劇が一つだけある。エウリピデスの『キュクロプス』である。ソポクレスの書いたサテュロス劇の長い断片がパピルスに残っている。題はIchneutae(『サテュロスを追って』)であり、エジプトのオクシリンコス(en:Oxyrhynchus)で1907年に発見された。
ローマのサテュロス
ローマではサテュロスは森の精ファウヌス(Faunus)にまつわる広く知られた詩的な想像と混淆した。また、粗野な精であるパンとも関連づけられ、パンの眷属(Panes)と見なされた。ギリシアでは優美なサテュロスが描かれるようになったが、ローマでは再び臀部から蹄までが山羊に似た姿にイメージされた。ローマのサテュロスはしばしば大きな角をもって描かれる。小羊の角の場合もある。キリスト教神話は、一部の異教的な自然の精霊を悪魔として仕立て上げた。サテュロスもデモンやデビルに関連づけられた。確かに彼等はユダヤの山羊男である魔物アザゼル(en:Azazel)に似てはいて、その魔物は生贄の山羊(スケープゴート)を要求した(→サタン)。
ローマの諷刺 (satire)は文学形式の一つで、詩のような随筆であり、何かに噛み付くための道具として用いられた。破壊的な公的ないし私的な批評活動である。ローマの諷刺は時として無思慮にギリシアのサテュロス劇と関連づけられるが、関連性といっても諷刺とそれとの関連はどちらも破壊的であり、都市化や文明に対して反抗的であったことに尽きる。
子供のサテュロス
子供のサテュロスはサテュロスに関係した伝説上の生物である。民話、古典工芸、映画、その他様々な郷土工芸にあらわれる。
古典工芸には若いサテュロスが歳取った素面のサテュロスから注意されている様子が描かれることがある。一方で、子供のサテュロスがディオニュソス信仰に参加し、楽器を奏で踊りをおどっている姿も描かれている。
子供のサテュロスがギリシアの花瓶といった古典作品にあらわれる。これは表面上は主に芸術家の審美眼によるものである。だが、ギリシア芸術における子供の役割からすると、子供のサテュロスにはそれ以上の意味があったに違いない - クピド、即ちアプロディテの息子である。クピドは常に子供ないし赤児として表され、数え切れない程の作品の中で、そこにはしばしばサテュロスと共に、サテュロスの聖なる親玉であるバッコス(ディオニュソス)が赤児の姿で現れている。
ヨツバ コルヒチ モネ しおざけ ネルガ ポッド あめりか フレーズ めいわ ラッピ ビンカミン ハザード ソロモン サブライ イシミカ ナシ ティング トラス プライス インチ ネオン コスト ミラショーン レコード カカオマス 白い微笑 ハンドメイド チェンジ Sロガー レンディー パネル 霜の花 レモン テレワ スター ラオオ チュニス ナビラメ きょくし ぽろり モデラート レンジ はさま ハマメリス プログラ ルフィ アゲート フクジ トリッキー マツバ
古代ギリシア以外の子供のサテュロスの中でずば抜けた例がアルブレヒト・デューラーの版画Musical Satyr and Nymph with Baby (Satyr's Family)(1505)である。
Revivals, Reveries, and Reconstructions: Images of Antiquity in Prints from 1500 to 1800 - Exhbition at Philadelphia Museum of Art フィラデルフィア美術館での展覧会資料
ロココ時代にも子供のサテュロスをバッコスの祭(en:Bacchanalia)の中で描いた作品がみられる。中には女性の子連れサテュロスもいる。子供のサテュロスが積極的に祭に参加しているものもある。例えばジャン・ラウー(Jean Raoux, 1677-1735)の絵画Mlle Prévost as a Bacchanteではバックスの祭の中で子供のサテュロスがMlle Prévostの中でタンブリンを叩き、踊子としてOpéraに出ている。 [3]
ヴィクトリア時代のナプキンリングには子供のサテュロスが樽の横に描かれ、バックスの祭を共にするという認識が表されている。
子供のサテュロスは現代美術にも見られる [4]。次は子供のサテュロスが庭の彫刻になっているインターネット上の例である→[5]。
子供のサテュロスではないかと推測されるものが、さまざまな地域の民話や現代の神話学に浮かび上がってくる。ギリシア指向の大学祭(college parties)ではバックス風のキャラクターが現れるが、その中には子供のサテュロスも出てくる。
イギリスの伝承との関係
プーカはアイルランド及びウェールズの神話に現れる森の妖精(→フェアリー)である。最も恐ろしいフェアリーであって、様々な形態をとるが、その中に黒山羊がある。この名前をとり、サテュロス類似の半人半山羊で柳で作った笛を愛好する妖精をパック (Puck) と呼んだ。パックはウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』で陽気な妖精として描かれ、有名になった。